劇場紙風船 おふろ場


SWITCHonExcite劇場紙風船に書いた記事の、おまけページです
観たもののリストや各種思いつき、特集記事などは大福帳に載せています

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2006-07-31-Mon-08:55

演劇の目で観たスポーツ 終わりに(前後編)

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劇場紙風船
いつも正しい言葉とサッカー
フランス語の先生とイスラム

20060731083500.jpg   icon1.gif
左の写真は小冊子「Le football」(DELF・DALF試験管理センター制作)に載っていた画像ですが…これはほんとうにサッカー(のルーツの競技)に興じる青年の姿なのでしょうか。
まず腿の上にあるのが重石に見えます。拷問中のように感じられなくもないです。また後ろで手を組んでいるのかと思いきや、よく見ると指ではなく縄。それにただでさえ荒っぽい競技なのに、このかっこうでやったら無駄に危険でしょう。
もしかしたら、中世ヨーロッパにおける農村祭礼行事→イギリスのパブリックスクールでスポーツ化、というサッカー史とは違う文脈からのレリーフかもしれません。ふだん詳しく言及されないルーツ(があるとしたら、それ)をめいっぱい紹介した方が、刊行物として耳目を集めそうな気もするのですが。教育関連書物の特権は、こういう時にこそいかしてほしかったです。

さてサッカーに対する多様な見方の一つを知る資料として、画像右The Simpsonsの第9シーズンエピソード「ホーマーのピストル大騒動」を紹介します。
原題はThe Cartridge Familyです。

「ホーマーのピストル大騒動」前半のあらすじ
前の日に詩人の集会が行われたスプリングフィールドのスタジアムで、今日サッカーの試合(Continental Soccer Association match)があるとTVで知った住民たちは、観戦しようと集まってきた。シンプソンファミリーもやってくる。

彼らがくるきっかけになった、試合開催のお知らせCMのナレーションが簡潔ですばらしい。
「見えないパス、どこへいくかわからないヘディング、なかなか決まらないゴール。これぞサッカー!!!!!」。
続いて、そっくりで髪型だけ違ったり、同名で?とか?とかの選手が次々紹介される。それを見たバートとリサが、連れてってぇーとねだるいんちきな展開があり、その後一家がスタジアムにやってきた場面に繋がる。

試合前、ピースフルで崇高なメッセージを観客に伝えるはずのスター選手。しかしマイクパフォーマンスはただ一言「サッカーの王様は俺、洗剤の王様はこれ」。盛大な拍手を送るスポンサーから、巨大な金袋を渡される。
ゲーム開始後、ボールは同じところを行きつ戻りつしているだけで、選手は定位置からまったく動かない。会場は静まり返り、観衆の目玉がぱちくりするだけのシーンが続く。その静寂を破るホーマーのヤジ「つまんねえぞ?」をきっかけに、地元住民が興奮して大暴動がおきる。

以上、数年前に一度観た記憶をたよりに書き起こしたので、台詞の細部は違っている可能性があります。
アメリカにおけるサッカーのステロタイプなイメージが、わずかな時間内に凝縮されています。やっぱりアメリカ国内ではアメフトの方がすごいビジネスで、まだ今のところは、そちらにさまざまな才能も旨味も集まりがちなのだろうと思わせるエピソードです。
ホーマー・シンプソン
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【 演劇の目で観たスポーツ フレンチオープンテニス/サッカー 】

2006-07-09-Sun-21:25

ウィンブルドン 2006 決勝戦直前の記事 

6月最終週からウィンブルドンが始まった。今日ですべての試合が終わる。できるだけ放送にはりつくことを心がけたが、それも最後だ。「演劇の目で観たスポーツ1-4」を書いてから、テニスの試合がより面白く感じられるようになった。

SWITCHonExcite劇場紙風船にフレンチオープンテニスの記事を書くことに決め、昨年自分が現地で観たシングルスの選手4人の内、誰にポイントを絞るか考えた。クレーコートで勝つことに特化した生命体のようだった、ナダルに注目する。劇場紙風船の方に掲載した写真を見ると当時でもすごい身体だったのに、今年に比べたら明らかにほっそりしている。なんだか信じがたい。

今年のフレンチオープンは、大会早々世界ランキングNo.1のフェデラーが「決勝はナダルと私になるだろう」と言ったとおりになり、ナダルが勝ってクレー60連勝。
そのナダルはウィンブルドンでも決勝まで残り、今日再び、芝の4連覇を目指すフェデラーと対戦する。芝のコートにどれだけ対応できるか注目されていたが、めざましい進化だ。

放送で観たナダルのウィンブルドン3試合(アガシ、ニエミネン、バグダティス戦)、ナダルはどれもアウェーでやっているような状況だった。

7月2日に放送されたアガシ・ナダル戦は、まず今期限りで引退を表明したアガシの入場を、会場がスタンディング・オベーションで迎えた。終わってみればナダルのストレート勝ちで、実況の言葉で記憶に残っているのは
「ナダル、なんというカバーリングでしょう」
「やっと取った球がエースに」
「アガシのウィナー(といってもおかしくないショット)を、どんどん返します」
「ナダル疲れません」
「集中しています」
「すばらしいコントロールです」
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…舞台の場合、もうその作品をやらないとアーティストが宣言する理由は、体力の限界ではなく、残された時間の中で、どの作品に挑み何を表現するか選び抜いた結果である。また引退公演と銘打っていなくても、パフォーマーに対して「もう最後かもしれない」と感じる時がある。そのきっかけや判断は、観る人によって異なる。

でもスポーツの場合、時に決着がつくその瞬間まで「こういう理由でこの人は去るのか…」という必然が一つ一つ、観ている人全員に晒される。本人の引退表明を聞いた時以上に、寂しい思いでアガシのプレイを観た人も多かったと思う。
試合はナダルのサービスエースで終わったが、その瞬間会場は真空のようになってしまった。舞台なら「いくら名選手が、もっとも権威ある大会で16歳下の新星と最後の試合をやるからといっても、こんな雰囲気や展開はやりすぎだろう」と書けそうなゲームだった。

バグダティス(キプロス 21歳)
t_11_baghdatis_114_epa_h_philpott.jpg

ニエミネン、バグダティス戦はどちらも第2セットの第10ゲームがひとつのヤマだった。
後者はナダルのリードで5-4。バグダティスが、ナダルの2つあったセットポイントを逃れた。両者拮抗してきた場合、第10ゲームは見どころになるのかもしれない。カウントが5-4なら、リード側のセットポイントがかかったゲームなので当たり前か。第3セットの第7ゲームで、ナダルが0?40からduceに持ち込み取った後、流れが決定的になった。スコアは6-1, 7-5, 6-3。

バグダティスは身体の動きに、もちもちした独特の柔らかさがあるように思う。ボールに追いつけなかった時の死んだふりもナイス。デビスカップのような団体戦を舞台にしたテニスのコメディ映画があったら、ぜひ黄レンジャー的立場の役で出てほしいキャラクターだ。

画像転載元 WIMBLEDON2006
リュビチッチ夫妻のオフ映像かと思いきや、途中から突然出てきてイルカと戯れるバグダティスに目が釘付け ATP VIDEO In Miami with the Dolphins

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【 演劇の目で観たスポーツ フレンチオープンテニス/サッカー 】

2006-07-09-Sun-21:11

演劇の目で観たスポーツ フレンチオープンテニス1-4

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劇場紙風船
演劇の目で観たスポーツ 1 フレンチオープンテニス
演劇の目で観たスポーツ 2 フレンチオープンテニス
演劇の目で観たスポーツ 3 プレイヤーズ・プレイ
俳優の試合と選手の演技

演劇の目で観たスポーツ 4 ローラン・ギャロスの4色


2005年全仏日刊誌 LE QUOTIDIEN


05年男子単表彰式
優勝ラファエル・ナダル(スペイン)
準優勝マリアノ・プエルタ(アルゼンチン)
プレゼンターはジダン


右のサイトでも「プレイヤーズ・プレイ」が観られる。UN JOUR A ROLAND
トップアスリートから元スター選手まで10名が、次々カラオケで踊りつつ熱唱。テニスウェアに着帽のまま歌っている選手もいる。年中服が変わらない漫画の主人公みたいだ。

時節柄、はなからワールドカップの話を書いた方が「いかにも」だった気もするが、トップのプレーを競技場で観た経験がないので、メインで取り上げることは却下した。
それにたとえば、「友人がW杯の放送で新しい国の国歌を聴いたら、覚えにくそうな曲だったという。威風堂々みたいなクラシックが作れた時代は幸せだったんだねと話す。今ならちょっと作れないような、大時代的で単純なメロディが国歌には合うのかもしれない。単純ならばボレロなどどうか。完奏に14分かかるが、音のエネルギーは8000倍にもなるらしい」…こんな話を書いても、だらだらしてしまう。

「W杯に熱狂する理由」なんて、人によってそれぞれ違うだろう。その一つに愛国心があると言われているが、今回はそういうことより、スポーツそのものの面白さがどこにあるかに関心を持った。縁もゆかりもない国々の、しかも個人競技の選手の試合に盛り上がった体験は、それを考えるのにふさわしい。
愛国心について書くならば、ウィーンどん底の時代に上演された『こうもり』とウィンナワルツの関係というような、もっと自分の仕事に即したかたちで書きたいと思っている。


私がトップアスリートを尊敬するのは、彼らがかなり変わった人々だからだ。
きつい勝負に賭ける闘志。偏執的で(端からは反復に見えるが細かく違う練習を、毎日集中して続ける)、全員すごい負けず嫌い。そんな一面が、そのままではなく美しく咲く花(あらゆるよいプレー、伸び、進化)となって、大勢の人の目に触れる。
勝敗や順位を決めるのは、単純に誰かが「あるルールの下で1番をはっきりさせよう、優れた能力を評価しよう、大会に絡んで仕切って儲けよう、国力誇示に利用しよう」とするためではなく、競技の世界でずっと大事にされてきた探求的な精神と、深く繋がる行為だと思う。

私はいつも、基本的に勝ち負けの決まらない世界の才能や変人を観ている。
その世界と少し重なる、しかし異なる部分の方がとても多いスポーツの世界。アスリート(やる人)ではなく、スポーツを観るだけの人に「勝ち負けじゃないんだよスポーツは」と言われると、どうにも困ってしまう。

「スポーツの試合を観る楽しさは勝ち負けだけではない」は、たしかにその通りだと思う。が、そう言うだけでは「勝たなきゃつまらない」と、あまり変わらない。試合に勝つことはやはり圧倒的に大きな意味を持つという事実を、言い方を変えて喋っているようなものだ。

具体的に、何をどう面白いと感じているか苦心して伝えることから始めないと、他人が「なるほどそういう見方もあるのか」と、ちょっとでも思ってくれる可能性はないだろう。もちろん、苦心は報われないこともある。それでもやってみたいという気持ちから、今回の記事に取り組んだ。

【 演劇の目で観たスポーツ フレンチオープンテニス/サッカー 】

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