劇場紙風船 おふろ場


SWITCHonExcite劇場紙風船に書いた記事の、おまけページです
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2006-05-16-Tue-14:03

プロデューサーズ

映画の記事はこちら 劇場紙風船 プロデューサーズ

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ミュージカルは作品の骨格を音楽で表す。1つのメロディ(ある人物のテーマ)が転調して他の人物によって歌われるなど、まるでメロディ自身が意思を持って動いているかのようにナンバーの中に現れると、台詞に頼らなくとも人物間の感情の伝播、複雑な内面、劇の大まかな構造は音の層としてたちどころに理解できる。

という形式が、いつだってミエミエのすてきな演技でわかりやすく提示されているにもかかわらず、未だに「突然歌うからヘンだ」、またバレエ・歌舞伎にも動物や「○○の精」など人間以外の役はあまたあるのだが「人間が猫や獅子になるのは苦手」という人を見る。
バレエを観ながら「王子は着替えの途中みたいな格好で、飛びながら宴会に出てこない」「太股あらわな衣装で脚を上げたりブンブン回る姫などいなかっただろう」とか、はたまた歌舞伎にやってきて「ちゃんと喋れ」「男は女ではない」などという前座以下の発言は誰もしないはずだ。が、同じような程度のことをミュージカルについて言うと「頭が固いだけでは」としらけられずに、それどころか司会者が笑いをとるエッジな発言として、通用した時代があったというのが驚きだ。

三条会という現代演劇の集団が、ルイザ・メイ・オルコット『若草物語』を昨年取り上げた。もちろんよいこ名作劇場として死に体上演したのではなく、ミュージカルの他に歌舞伎やバレエも含めた、特殊な身体言語と音楽を用いるエンタテイメントに対して、意識的で先鋭的な実験を行っていた。


三条会は稽古に鈴木メソッドを取り入れているのだが、このはちみつレモンのような単語を使わないで、演劇をよく知らない人にも読み物としてわかるように『若草物語』レビューを書いた。そして物語の中で起きる出来事の意味が、結局ドリフ大爆笑の落ちで鳴るジングル「ブ・パ・パ・ブッ」とほぼ同等という歌舞伎で、なぜもらい泣きが可能なのかということを踏まえ、この舞台と客席に流れた楽しい雰囲気を伝えたいと考えた。

かなーり長いので前置きだけ紹介します。

原書『Little Women』について若干の前置きをする。なぜなら訳書『若草物語』のエピソードが意味するものと、日本でいうと江戸の天保期?明治中頃を生きたアメリカ人女性による、19世紀に出版された半自伝的小説だということだけでこの作品を裁断すると、その特性は見えてこないと思うからだ。
『Little Women』は、もう使われない古い英語表現が四人の娘のバイオリズムに巧みに織り込まれ、婦女子独特の間合いで会話として交わされて日常生活の襞の内側を繰りながら、クリスマスの「めでたし」を目指して進んでいくという、惰力のようなじわーとした感動のある、いいかえれば大変芝居的な作品だ。
まずテキストには当時の家庭という固定された場があり、場には定まった人物の関係性がある。一定の関係性があるということは、そこで暮らし周りの環境に育まれた身体が存在するということであり、従って登場人物の言葉というのは、どこの誰とも知らないがただそこにいる人の物言いではなく、固定された場によってつくられた身体から発せられる言葉となる。また、関係性を持続させる上で非効果的な言い方は鮮やかに回避される。
さらに作品の言葉には話者の帰属する階級、頭の回転速度、アメリカ人度など人物像を描く筆が沢山用意されているはずだが、その微細は到底わからなくても、言葉が映画などで俳優の口をついて語られる時、今聞く英語の日常会話と異なる音の流れ・間によって綴られる感情や心理の波に乗ると、もらい泣きできたりする。『Little Women』がアメリカで繰り返し映画化されてきた理由の一つは、ここにあるのではないかと思う。
 
このもらい泣きは上方歌舞伎の和事、人情ものを観てホロりとなるのに近い感覚だといえるだろう。近世の大坂、つまりある時代のある地域で記された言葉(義太夫訛り)が、型という特別な修練を積んだ現代の人間の身体を通し音として目の前に立ち上る、その生々しく艶のある音の抑揚や運びから、言葉の意味を超えた人間の内面の起伏そのものをありありと感じ取ることによってもらい泣きが起こるのだ。音楽的かもしれないが、音楽とは異なる。感情移入でも同化でも共感でもない。だから頭で考えるとめちゃくちゃな話でもかまわない。例えるなら、辻褄はあわないが感覚だけ非常にリアルな夢を見たような感じだ。
松竹・上方歌舞伎塾の主任講師でもある歌舞伎役者、片岡秀太郎が「現代の男女の在り方と、歌舞伎のドラマに出てくる男女の心の機微とか義理人情というのはかけ離れていて、理解しにくい部分が多々あり」「それを演じてみせて感動を与えるには、まずセリフ」であると述べ、イントネーションに重きを置いて指導すると語っていることは、この私見の証左となるだろう。

全文読む勇気のある方は、ここをクリック(三条会公式からもリンクしています)
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