劇場紙風船 おふろ場


SWITCHonExcite劇場紙風船に書いた記事の、おまけページです
観たもののリストや各種思いつき、特集記事などは大福帳に載せています

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2007-03-24-Sat-09:22

世界水泳2007 シンクロナイズド・スイミング

仰天!世界水泳2007シンクロのスペインチーム。

フリールーティンのテーマがアフリカだそうです。
全員コーンヘアを意識したスイミングキャップを被っているのですが、ちょっと西瓜がモノクロになったみたいな…(『魁!!男塾』の中にいそうだともいえましょう)。それから曲調、振付など「アフリカンイメージ」のつくり込みがポストコロニアルどころか、まんまコロニアルに感じられました。

たとえばバレエ『ファラオの娘』には、漫画のような黒人のマスクを被ったダンサーが出てきますが、それには「クラシック(バレエ)」という冠がついています。
スペインチームは、伝統芸能とかまだコードがゆるかった頃の作品とか、そういう了解事項がなあんにもない状態で、「ヨーロッパ様が愛でるアフリカ」的なイメージを堂々と打ち出していました。以前「芸術性ってなんですか イメージと身体」という記事で、「シンクロがよく知られている地域で、安心して受け入れられる既存のイメージにコミットする方向性がある」という見方をしたのですが、植民地時代まで遡るとは…。

そして高得点が出た瞬間、西瓜のまま感極まって抱き合う、エッジなかっこいい身体の皆さん。現代から見た歴史の遠近がグラグラゆらぐ、不思議な光景でした(予選)。

追記:決勝ではフランスのジャッジがアーティスティックインプレッションで10点を出していました。物議をかもしたケ・ブランリ美術館をつくった国らしい、演劇を超えたベタな展開です。
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スキンケアプロダクツや生活雑貨のブランド、フランスのロクシタンの看板商品「ピュアシアバター」リーフレットを読むと、ブルキナファソの女性から直接シアバターを買い付けて、フェアトレードによって生活に貢献していることが囲み記事で書かれています。
一般に、ヨーロッパ経由のアフリカ情報は利権という背景があってなかなか鵜呑みにしにくい時があります。アフリカ産のものをヨーロッパの資本で扱う際には、いろいろ注意や苦労があるのでしょう。


シアバターは西アフリカに生育するシアの木の実から抽出される、保湿効果の高い植物エキスです。個人的にはくちびるに使うと効果てきめんでした。この前、15年ぐらい無駄に寝かせたシアバター缶を見つけたので様子を見てみましたら、きれいな白色を保っていました(ただし若干の異臭が)。


さてスペインチームの中にはソロ、デュエット、チーム(すべてテクニカルルーティンとフリールーティン両方)、フリーコンビネーションに出場しているエマ・メングアルの姿も見えました。
出場リストはFINA公式より
今大会は28歳ヴィルジニー・デデュー(フランス)の、ソロ・フリールーティンへの復帰が話題になりましたが、ずっとコンスタントにメダルをとってきて、今回全種目に出る29歳のメングアルも、やはりすばらしいアスリートなのではないでしょうか。

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エマ・メングアル 画像転載元 AFP BB News

ソロ・フリールーティン(3位)でメングアルが着ていた紫の水着は、わりと露出の高いデザインです。そこから覗く豊かな胸を観た時、もしシンクロでボブ・フォッシー作品をテーマにしたら、ヴェルマのイメージにコミットできるのはこの選手しかいないと思いました。


ヴェルマはフォッシー振付のミュージカル『シカゴ』に登場するナイトクラブの歌手・ダンサーで、スターの座を追われそうになる役です。
生きていると、思う通りにうまくいかないことがたくさんあるのを知っている女性が、それでも人生って試してみる価値はあるんじゃないかしらと、だるく苦いものを力強く持ち上げるように、網タイツの脚を開いて歌う。一見猥雑ですが、大変タイトで流れるように動きが繋がっている振付です。
フォッシーの作品に出てくる身体には、人間臭さなどという次元を超えた寛容な温かさを感じます。一言で書くとありがたいです。そんなわけで、特にヴェルマはうんと若い人よりもベテランが演じた方が輝くのではないかと、かねがね思っています。

デデューに次いで2位になった20歳のナタリア・イシェンコ(ロシア)は、ソロ、チーム、フリーコンビネーションに出場したようです。マールイ(レニングラードバレエ)のソリストを思い出す働きぶりです。
チーム・テクニカルルーティンの予選でロシアが失敗したアクロバティック・ムーブ。決勝でイシェンコは、もう一人のジャンパーの動きをぐあぁぁっと見つつ、回転スピードを完璧にあわせて沈んで行きました。それを観て、なんだか理屈を超えた尊敬の気持ちがわきました。

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ヴィルジニー・デデュー 画像転載元 AFP BB News

ヴィルジニー・デデューのパフォーマンスも、まず技術の高さに驚きました。あまり得意ではなかったと言われていたスピンを決め(しかもかつてやっていたスピンより難易度を上げ)、つなぎの動作は決してカクカクせず、また水のとろみを感じさせる独特の泳ぎでした。水の抵抗を断ち切るというより、抱き込むような力強さがあります。

昨年横浜のプールでフリーコンビネーションを観て、正確な角度で連続して上がる・回る複数の脚にグルーヴを感じたのですが、 ソロのパフォーマンスは、選ばれたテーマに添える言葉(物語)が、より前面に出ます。今回のデデューの泳ぎは、トップアスリートの闘志の告白そのもののように感じられました。泳者間の同調性・フォーメーションという抽象的な要素があるのとないのとでは、音楽とともに泳ぐといっても、かなり違う表現になります。

デデューの演技はテクニカルメリットも、イシェンコを0.5ポイント上回っていました。その差はアーティスティックインプレッションとまったく同じです。報道の、技術(のイシェンコ)か芸術(のデデュー)かという二大別の煽りが的を得ていないのは、デデューの得点があっさりと証明していました。


シンクロの採点法にある多様性や創造性、水域の利用といった言葉は、振付を純粋なクリエーションとして現代人の脳と感覚で自由に評するのとは違い、現行のルールで高得点に結びつく動作を、決まった時間の中にどう効果的に構成したかを問うためのものです。私が脚に感じたグルーヴや、デデューを観て「美しいなあ」と思う気持ちは勝ち負けと直接関係ないですが、泳ぐ身体、最高の状態に仕上げてくるアスリートの意識は、世界一を決する勝負と分かちがたく繋がっています。

ここがたぶん、同じ「演技」と言われる身体表現でも、舞台の身体と根本から分かれるところです。委員会なり組織が定めたルールはあらゆる意味で無視できないし、振付や表現内容を制約するのは事実です(一方で、すばらしい技術を流れるように見せる身体は、そのルールが推進力となって先にいけます)。また、トレーニングの一環にバレエの基礎を取り入れる、あるいは選手がバレエを学んでいたという話は珍しくないですが、では身体や筋肉まで一緒かというと違います。

それからシンクロには、積極的にスポーツになった歴史、それをきっかけに競技として大きく成長した歴史があります。
シンクロは1984年のロサンゼルスオリンピックで、ソロ・デュエットが正式種目に採用されたのですが、「シンクロのノーティカルチャート」には「オリンピック参加のためには,シンクロがショーではなくスポーツであることをアピールしなければならなかった.また同時に,オリンピック種目として,できるだけ明確なわかりやすいルールの整備と公平な審判システムの整備が求められ,さらには見て面白いスポーツが求められた.オリンピック正式参加を夢に,世界のシンクロ関係者が一丸となり,‘Sport Synchro’ を目指したのである.」とあります。

こうやって考えると、芸術性のあるスポーツと芸術は重なる部分はあっても、ほんの少しです。にも関わらず、観るだけの人間が簡単に「芸術だ」と言うのは、重なっているところのほんの少しの部分しか楽しまないで、考えることも感じることもおしまいにしてしまっているのではないでしょうか。


去年マリインスキー劇場のウリヤナ・ロパートキナが踊った『白鳥の湖』の話を、いずれ書きたいなと思いました。ものすごい恍惚感が音楽と一緒にずーっと続いたあの体験は、スポーツを観る感動とは質の異なるものです。

ロパートキナのインタビューを読むと、いつも微妙に聞き手を叱っているみたいで興味深いです。もちろん実際にインタビュアーに憤慨しているのではなく、とても誠実にていねいに答えた言葉を翻訳して書き起こすと、そのようにならざるをえないということなのだろうと思います。

以前書いた、シンクロナイズドスイミングの記事一覧です。
「認めがたい」のナゾと、シンクロ4つの種目
FINA Synchronised Swimming World Cup 2006


今回の記事や、リンク先で取り上げた「シンクロナイズドスイミング」は競技に限定しています。したがいましてアリエルのショーや『シャングリラIII』や、1994年に日本に来た『シレラ 人魚伝説』などのパフォーマンスは含まれません。

シレラ

シレラ2
『シレラ 人魚伝説』 公演パンフレットより
ミュリエル・エルミーヌ原作/主演/演出/振付の、水中・陸上・空中スペクタクル。競技のシンクロを観ていて「こんなことやったら面白いだろうな」と想像していたことが、全部目の前でキラギラと上演されました。
あらすじ:神の喜怒哀楽

私自身はショーやエンタテイメントが好きですし、というよりいろいろな舞台を含めて「パフォーマンス」だと思うので、それらを一段低く見るような人間には嫌悪感を覚えます。が、とりあえずそのことはおいといて、私が現場で観たワールドカップをはじめ、一般にテレビを通じて観る機会が圧倒的に多い「シンクロ」は、競技として実施されている順位のつくパフォーマンスであるという現状をふまえ、昨年来からの記事は競技に限定しました。

芸術のコンクールでも、賞や順位は与えられますが、私たちがふだん舞台観賞という時は、コンクールや大会に行くよりも、作品の上演を観る意味で用いています。
バレエにしぼって言うと、ダンサーの受賞歴は、いかに頭角を現すのが早かったか知って驚くとか、スカラシップを得てどこそこに留学というと、学んだメソッドの見当がつくという利点があります。ローザンヌなどのコンクールを観れば、これから彼らはどう成長していくだろうかという楽しみが増えます。ただしそれを観るのは次の大会ではなく、近い将来彼らがどこかのバレエ団に所属したり、ゲストで出たり、あるいは自主的に公演として作品を上演する時です。
というわけで「バレエ」という言葉は、審査員のいるコンクールや大会でダンサーが踊っている場ではなく、作品を上演している場を想定して書いています。
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【 シンクロナイズド・スイミング FINA Synchronised Swimming World Cup 2006 】

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