劇場紙風船 おふろ場


SWITCHonExcite劇場紙風船に書いた記事の、おまけページです
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2006-04-21-Fri-00:20

ダンスを撮る、踊る シルヴィ・ギエム

記事はこちら 劇場紙風船 ダンスを撮る、踊る

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自分を撮る、踊るシルヴィ・ギエム
画像転載元 VIVIMILANO.IT

第1回は、ギエムの踊るベジャール『ボレロ』のことを書いた。記事冒頭で少し触れた『日本最後のボレロ』公演は、ステロタイプの「肉体のピークを超え…喝采の中で20数回封印のリチュアルを…!」とかいう終わった感動ではなく、音と力に対する類まれな洞察力が、今後の新しい作品でどう展開していくのか、という未知の期待に繋がるものだったと思う。

さて、まずは『ボレロ』について今のところの雑ぱくな考察

リズム(群舞) 
しばしばベジャールがテーマにする、海をはじめとした抽象的な意味での自然の表徴
メロディ(ソリスト) 
全体像がわからないほど巨大で音として聞き取れないリズムから生まれ、やがてそれに憧れ観察し、それと戯れ共謀し、すてきな虚構でその始まりや終わりを捏造し、やっぱり負けるというか飲み込まれていく存在。具象的な誰かではなく、従って演/作の区別のない「芸術家」の、表現における壮絶なエネルギーと、彼らが表現する必然と快楽のすべて

ではないかと思っている。これは2005年の『植物庭園記』と『北斎展』を観て、植物ってものすごくリズミカルだなと感じたことがヒントになった。

現在すぐに観られる『ボレロ』映像の紹介

モーリス・ベジャールと二十世紀バレエ団の芸術 ソリスト ジョルジュ・ドン

メロディ(ソリスト)とリズム(群舞)の手の動きが、しっかり捉えられている。
冒頭で前かがみになって座っているリズムが、その後いっせいに足を投げ出してそっくりかえる(「考える人」から「昔のヤンキー」へ)。実際に初めて『ボレロ』を劇場で観た時、この時の「ゾロ」という音に得体の知れない怖さを感じた。どんどん盛り上がっていく音楽の構造以上に、なにかとんでもないことが起きるのではと予感させる音だ。

解説するベジャールの顔も怖い。以前『バレエ・フォー・ライフ』の後、喋りながら東京文化会館前を歩いていると、ベジャールの乗ったタクシーが徐行して来た。友人が「オボワ、ムッシュ!」と手を振ったら、しっかりと振り返してくれたのだが顔はDVDのまま。満面の笑顔なのに怖かったのをよく覚えている。

自分のことを創造者ではなく、有から有のオーガナイザー(組織する・まとめる・体系づける人)だというベジャールの言葉(映画『B comme Bejart』)を思い出すと。
ドンの『ボレロ』は今まで多くの賞賛の言葉で語られてきたように、観る者が自由に物語やドラマを思い描ける作品になっている。なぜそれが可能かといえば、ドンの踊りにベジャールの強固な「オーガナイズ」を踏まえつつ凌駕する、天才にしかできない逸脱があるからではなかろうか。そもそもドンは、クラシック・バレエのタイトな「ノーブル」という形容に嵌めると表情も身体も逸脱気味だ。逸脱、という言葉はつきつめて考えると正確ではない気がするが、少なくともドンの持ちうるそのようなものによって、『ボレロ』はベジャールが待ち望んだ以上の作品になったのだと私は考えている。

Diva of Dance ソリスト マイヤ・プリセツカヤ(未見)

Diva of Dance Diva of Dance
Maya Plisetskaya、Raymonda Romeo Juliet Swan Lake Ballet 他 (2006/02/21)

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